瀬戸内のジャンヌ・ダルク 鶴姫の悲しい恋


穏やかで風光明媚な光景が広がる瀬戸内海に、「神の島」と呼ばれた大三島があります。今をさかのぼること450年前、この島に「鶴姫」という美しい姫がいたそうです。ところが時は戦国乱世の真っただ中、平和な大三島は戦乱の舞台と化しました。
島を守るため苛烈な戦いに身を投じ、一途な愛に生きた鶴姫のことを後世の人々は「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」と呼んだそうです。そんな彼女のひたむきな生きざま、そして美しくも悲しい恋をご紹介していきましょう。

武勇に優れ、才女でもあった鶴姫


今回の主人公・鶴姫が生まれたのは大永6年(1526年)のこと。大山祇(おおやまづみ)神社の大宮司を務める家に誕生しています。父は大祝安用(おおほうり やすもち)といい、代々神事に尽くしつつ武士でもあるという家柄でした。鶴姫には二人の兄がいて、長兄の安舎(やすおく)は神職を継ぎ、次兄の安房が水軍の大将を務めていたそうです。

鶴姫は幼い頃から利発で美しく、父からとても可愛がられていました。また和歌や漢詩を嗜む才女だったといいます。とはいえ単に美人で賢かっただけではありません。彼女は生まれつき体が大きく力持ちだったようで、10歳以上も歳が離れた兄たちと武芸の鍛錬を怠らなかったそうです。
そんな鶴姫を見た父も「鍛錬するからには誰にも負けるな」と言って、進んで武芸や兵法を伝授したとか。

乱世には数多くの女武者が登場しています。巴御前・板額(はんがく)御前・甲斐姫などなど、いずれも歴史に名を残す女性たちでした。鶴姫もまたしかり、合戦になると必ず先頭に立って戦い、並外れた武勇を発揮したそうです。そんな彼女を見た人々は、「明神の化身」と口々に呼んだとか。

それもそのはず、大三島の大山祇神社は「海の神」「戦いの神」として尊崇を集め、源氏や平氏も武運長久を祈ったほど。彼女が「神の化身」と呼ばれたのも、何だかわかるような気がしますね。
ちなみに大祝家は父・安用で31代を数える名家です。かつては後醍醐天皇に従って鎌倉幕府軍と戦い、見事に勝利を収めた武勇の家でした。鶴姫にも同じ遺伝子が伝わっていたのかも知れませんね。

狙われた大三島!鶴姫の活躍ぶりとは?


さて、平和な大三島にも戦乱の足音が近づいてきます。敬愛していた父が亡くなると、周防・長門を治める大名・大内義隆が好機とばかりに大三島を狙ってくるのです。
天文10年(1541年)、ついに義隆は重臣・白井房胤(ふさたね)に大三島攻めを命じ、水軍の大部隊を差し向けてきました。大祝家はすぐさま迎え撃つ準備を進め、近隣の河野(こうの)家や来島(くるしま)家と連合してこれにあたります。

ところが敵は何倍もの大軍でした。徐々に押されて形勢不利となり、もはや敗北は避けられない状況となります。いっぽう鶴姫の姿は大山祇神社にありました。16歳になったばかりの彼女は三島明神に戦勝祈願をすると、きらびやかで美しい甲冑に身を包み、配下に下知(げち)を下しました。
「敵は大軍といえど恐れるな!三島明神の加護ある限り、勝利は疑いなし!」

やがて戦場へ到着した鶴姫は、騎乗したまま大薙刀(おおなぎなた)を振るって奮戦し、敵兵を次々に薙ぎ倒していきます。そんな鶴姫の姿に勇気を得た味方は、数で勝る大内軍を押し返し、ついに勝利を収めることができました。しかし激しい戦いの結果、慕っていた兄・安房は帰らぬ人となり、多くの味方が傷ついてしまったのです。

実は大山祇神社には、鶴姫が着用したとされる甲冑が現存しています。「紺糸裾素懸威胴丸(こんいと すそがけ おどし どうまる)」といい、少々長ったらしい名前なのですが、その姿は優美で繊細、たおやかな感じがするのだとか。現存する唯一の女性用鎧とされている通り、いかにも女性っぽい造りになっていますね。

さて長兄の安舎は神職ですから、自ら戦うことはありません。弟・安房が陣代となって奮戦するのですが、武運つたなく討ち死にしてしまいます。そこで亡き兄に代わって陣代となったのが鶴姫でした。大祝家そして大三島の命運は彼女の両肩に託されたのです。

大三島を守り抜く鶴姫、彼女が抱いた淡い恋とは?


惨めな敗北を知った大内義隆はおおいに激怒しました。そして更なる大軍を準備し、同年のうちにまたしても大三島へ攻め込んできたのです。海は敵の軍船で埋め尽くされ、翌朝にも総攻撃を始めようという勢いでした。

「まともに戦っても勝ち目はない…」そう感じた鶴姫は、密かに早舟へ乗り移って味方の先頭に立ちます。そして気付かれぬよう敵の間近まで漕ぎ入れると、一斉に矢を放たせました。油断していた大内水軍は思わぬ奇襲を受けて大混乱に陥り、同士討ちまで始める始末です。

鶴姫は「我は三島明神の権化なり!」と雄叫びを上げて敵陣へ斬り込み、勇猛果敢な戦いぶりを見せつけました。義経の八艘飛びよろしく敵船の間を駆け抜け、縦横無尽に切り結びます。やがて自ら総大将を討ち取ると勝鬨を上げました。こうして鶴姫はまたしても敵を撃退したのです。

ところで、戦いに明け暮れる鶴姫が心の支えとしたのは、同族であり幼馴染でもあった越智安成(おち やすなり)という若者でした。程なくして2人は恋仲となり、支え合って大三島を守ることを誓い合うのです。
「戦いが終われば、一緒になりたい」そんなふうに約束したのかも知れませんね。

それにしても大内義隆の執念は凄まじいものがありますね。一度ならず二度までも攻め掛かるとは、大三島にとことん執着していたものと見えます。
それもそのはず、大三島は瀬戸内海を扼する「海の要衝」ともいうべき島です。ここを獲るか獲らないかで大内氏の戦略そのものに影響していたわけですね。

また当時の大内氏は、九州の大友氏と反目しあっていましたから、瀬戸内海の覇権を握ることは絶対条件でした。だからこそ何度も大三島に戦いを仕掛けてきたのでしょう。

鶴姫、最後の戦い。そして亡き兄や恋人のもとへ…


それから2年後のこと、大内義隆は今度こそ大祝家を滅ぼすべく、名将の聞こえ高い陶隆房を送り込みました。また兵や軍船の数もこれまでとは比較にならないほど桁違いです。
瀬戸内の連合軍は死力を尽くして戦いますが、やはり数の差は歴然でした。圧倒的な攻撃を受けて大祝一族も次々に討たれていき、とうとう恋人・安成までが討ち死を遂げてしまうのです。鶴姫は悲しみを乗り越えて奮戦しますが、敗色は濃くなっていくばかり…

そんな中、決断を下したのは長兄の安舎でした。皆が居並ぶ前で敵の軍門に下ることを明らかにしたのです。一族が悲嘆に暮れるいっぽう、決意を新たにした鶴姫の姿がありました。そう、彼女の心は折れていなかったのです。

残った早舟をかき集めると、わずかとなった兵を集めて命じます。
「皆の者、おそらくこれが最後ゆえ力の限り戦え!私が先陣を切ろう」と。

月もない闇夜の中、おのおのが早舟へ乗り込みます。やがて海は嵐となり、鶴姫たちの姿を包み隠しました。さらに暴風雨の中では敵も警戒どころではなく、すっかり油断していたのです。夜襲は見事に成功し、鶴姫は奮戦のあげく数多くの敵を討ち取りました。
大内軍は混乱に陥った軍勢を立て直すこともできず、多くの軍船を失っていきます。とうとう陶隆房は撤退を決意し、たった一人の女に負けたことを悔しがりながら退いていきました。それからは二度と大内軍が攻めてくることはなかったそうです。

ついに大三島を守り切った鶴姫ですが、最後の戦いが終わった直後に三島明神へ参詣します。亡くなった兄や恋人を思い、戦いに勝利したことを報告したかったのかも知れません。
そしてたった一人で船に乗って沖に漕ぎ入れると、そこで入水(じゅすい)して自ら命を絶ったのです。

こうして彼女の逸話は後世へ伝わり、「鶴姫伝説」として残り続けたといいます。

あまりに短い人生を激しく生きた鶴姫ですが、その辞世の句が伝わっています。
「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」
「うつせ貝」とは中身がなくて空っぽになった貝のこと。慕っていた兄・安房、そして愛する安成を失った悲しみは、戦いに勝ったところで埋めることはできなかったのでしょう。

大三島を守り抜くという使命を終えた時、鶴姫に許された唯一のわがままは、亡き安房や安成の元へ旅立つことだったのかも知れません。今回は戦国の悲恋のお話でした。

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