【驚愕】家紋で分かる、あなたの先祖の身分や職業!


あなたのご先祖様がいったいどんな人で、どんな身分だったのか?気になったことはありませんか?家に家系図があったり、「昔は武士だった」なんていう言い伝えがあれば別ですが、そのような家はごく一部に過ぎません。
そこで今回は家に伝わる「家紋」から、ご先祖様のことを知る方法を伝授したいと思います。ぜひ参考にしてみて下さいね。

自分の家紋を調べるにはどうしたらいい?

ご自分の家紋がどんなものなのか?まずそこから調べていきましょう。手っ取り早いのが、紋付き袴や喪服といった着物を調べることです。そこには「五つ紋」といって、5ヵ所に白抜きの家紋が入っているはず。
ただし既婚女性の紋付着物の場合ですと、女性のご実家の家紋が入っている可能性があるため注意が必要です。

また喪服の場合、女紋が用いられていることがあります。これは女系で代々引き継がれる家紋のことで、関西を中心とした西日本地域で残っている風習です。これは正式な家紋ではありませんので、確認したほうが良いでしょう。
しかし最近の冠婚葬祭では洋装が多いため、もしかすると紋付着物がないお宅が多いかも知れませんね。

もし紋付着物でわからない場合ですと、次に調べて頂きたいのはお墓です。一般的な墓石には家紋が掘られていますし、親戚のお墓も近くに並んでいるなら、同じ家紋が用いられているかどうか確認しましょう。
また仏壇や神棚があるようなら、そこから家紋がわかる場合もあります。上部や下部の中心に家紋があしらわれていることがありますし、位牌や袱紗(ふくさ)に家紋が刻印されていることも珍しくありません。

家紋を調べる方法はたくさんあるのですが、もし家紋がわかったとしても、どんな呼び名の家紋なのか?わからない方も多いはず。本やネットで調べようとしても種類が多すぎて骨が折れますよね。そこで簡単にわかる方法を伝授致しましょう。

まず家紋は植物紋や動物をあしらった紋など、大きく分類することが可能です。例えば植物ですと「どんな植物なのか?」まず把握することが大切でしょう。わかりやすいところでは「梅」「柏」「藤」などが挙げられますね。
次にどんな図案になっているかを確認します。柏にヒゲが生えているように見えるから「蔓柏(つるかしわ)」、藤が下がっているから「下がり藤」なんて呼び方をします。例えば「藤が下がっている家紋」で検索してみると、あら不思議!しっかり「下り藤」という名称が出てきますね。

また丸で囲ってある家紋ですと、ほとんどが「丸に○○」と呼ばれます。「丸に桔梗」とか「丸に三階松」といった感じでしょうか。そうした特徴から、ぜひご自分の家紋を確認してみて下さいね。

由緒正しい武士だった!というケースは?

「ご先祖が武士だったらいいな!」そんなふうに思う方も多いでしょう。家紋が判明すれば、もしかすると家系が武士だった可能性は十分考えられます。
まずやっておきたいことは戸籍の確認でしょうか。日本では明治時代から戸籍制度がスタートしていますが、その保存期限は150年となっています。ということは明治の初めまでご先祖様を遡れることになりますね。

当時の日本人は現在ほど頻繁に移動しませんから、その住所さえ判明すれば、その土地にずっと住んでいたことがわかるはずです。さあ、ここで家紋の登場ですね。例えば「丸に立ち梶の葉」という家紋を見ていきましょう。調べれば簡単に出てきますが、この家紋を見ると長野・静岡・愛知などに広く分布しています。そこであなたの苗字を符合していきますね。もし「西牧」という苗字で明治のご先祖が長野県に住んでいたとしたら、それはまさしくビンゴです。信濃の滋野一族に端を発し、小笠原氏によって滅ぼされた西牧氏の末裔で間違いないでしょう。

このように明治まで遡れる戸籍・家紋・苗字を組み合わせることで、ご先祖がどんな人だったのか?判明する可能性が高いのです。

確かにご先祖が武士だった場合、戸籍から辿るのは最も効率的な方法ですね。ちなみに武士の多くは主家が滅んだり改易されたことで、江戸時代に入ると帰農する者が相次ぎました。武士だったという誇りを胸に、苗字や家紋を子孫へ伝えていったのでしょうね。
ちなみに江戸時代の農民が苗字を持たなかったというのは間違いで、非公式な場ではみんな苗字を用いていたそうです。

もう一つ気を付けたい点があるのですが、もしご先祖がどこぞの藩士だった場合、戸籍・家紋・苗字が一致しないことがあります。なぜなら江戸時代の藩はどこも転封続き。特に譜代大名であればなおさらで、あっちへ飛ばされこっちへ飛ばされ、縁もゆかりもない土地で住まざるを得ませんでした。
たとえ戸籍を遡ることができても、ご先祖の出自がわからない以上は、家系図に頼るしかないのかも知れません。

立派過ぎる家紋や、高貴な家紋はどうなる!?

そもそも江戸時代を通じて、徳川家が用いる「葵紋」以外に家紋の規制はありませんでした。つまり誰がどんな家紋を使おうが問題なかったのです。
そのため新たに家紋を用いたいと考えた時、あるいは「家紋を変えたいな」と思った時、他のどこにもない家紋を作り出すことが流行しました。

家紋はもともと、幕や旗を見るだけで敵味方を判別する標識として使用されていましたが、世の中が平和になってくると実用性は意味を失い、優美でカッコいいものを家紋にしたいという気持ちが生まれてきたわけですね。
あまりに派手過ぎるものや、華麗な家紋は後世になって作り出されたものが多く、元々あった家紋が変更されてしまったケースが考えられます。

また高貴過ぎる家紋を一般人が用いるのも眉唾でしょうか。例えばキクをあしらった菊紋は、皇室をはじめ高貴な血筋だった家系のみが使用していますし、「五七の桐」や「五三の桐」といった桐紋も時の政権が好んで用いた家紋でした。
もし一般家庭がこれらの家紋を用いているのなら、おそらく江戸時代に勝手に拝借したものでしょう。

葵紋が使用を禁じられるいっぽうで、由緒ある桐紋の使用は大幅に緩和されたそうです。そのため「五七の桐」や「五三の桐」といったカッコいい家紋は庶民の間で大流行となりました。倹約令や厳しい統制を押し付ける幕府にとって、庶民の不満をそらすには規制緩和も一つの方法だったのでしょう。

それともう一つ、江戸時代の一時期には「鶴丸」という家紋も使用を禁じられていました。なぜなら5代将軍・徳川綱吉の娘の名が鶴姫だったそうで、「安易に鶴を用いてはならん!」となったわけですね。

ご先祖が商人や職人だったケースの家紋とは?

江戸時代、商人や職人が家紋を用いる場合、その職業に応じてオリジナリティあふれる家紋を作ることがありました。
例えば刀剣や工芸品などを作る職人は、その品質を認められることで独自のブランドを築きます。刀に独自の銘を入れてみたり、工芸品に印章を刻印するなど、他の職人との差別化を強調しました。そして家紋こそがプライドを示す商標となったのです。

糸巻きをモチーフにした「糸巻紋」は織物屋や仕立て屋を表し、額縁を模した家紋は「額紋」と呼ばれます。これは寺社の山門に掲げられた額を図案化したもの。おそらく宮大工など寺社建築を得意とした職人だったのでしょう。
他にも漁師さんなら船を漕ぐオールを表した「櫂紋」、農家であれば農機具を図案化した「鎌紋」などが知られています。

また、ご先祖が商人だったことを示す家紋もあります。店先の暖簾(のれん)などに掲げ、誰が見てもわかりやすいようシンボルとして大切にされていました。例えば三菱財閥を創始した岩崎弥太郎の「三菱」や、島津製作所の「丸に十の字」などがありますね。また両替商ですと「分銅(ふんどう)紋」なども用いていました。

時代劇などの場面を見てみると、商家の暖簾には必ず屋号や家紋が染め抜いてありますよね。ちなみに「暖簾分け」という言葉にも深い意味があります。これは従業員が独立する際に屋号の使用を許可することから、暖簾を分けると解釈されていますが、同時に「家紋を分ける」ということにも繋がります。
すなわち「家紋を分けるからには分家も同然。本家の名を傷つけないようしっかりやれ」といった期待の裏返しだったのでしょう。

やがて明治に入ると、家紋と苗字は一体化したうえで使用されました。庶民は冠婚葬祭の着物や墓石などに家紋を入れ、ほとんどの国民が自分の家紋を持つようになったとされています。家紋にはとても深い意味があったのですね。

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