【財政難の原因?】将軍の妻の1日!大奥の規格外の暮らしとは?


徳川将軍の嫁といえば御台所(みだいどころ)と呼ばれ、働く女性たちが1千人に及ぶ大奥の中で暮らしていました。まさに「女の園」といった感じでしょうか。ところで御台所はどんな生活を送っていたのでしょう?その1日を時系列でご紹介したいと思います。

身だしなみはやっぱり大切!?忙しい御台所の朝とは?

御台所が起床するのは午前7時頃です。目が覚めていても起き上がることはできません。お付きの女中から「お目覚めになってよろしゅうございます」と声を掛けられてから起床します。それから働く女中すべてに御台所の起床が伝えられ、ようやく大奥の一日が始まるのです。

御台所は起き抜けでボ~っとすることは許されません。お世話役の御中臈(おちゅうろう)が補助しつつ口をゆすぎ、歯磨きには爪楊枝の巨大版である房楊枝(ふさようじ)を用いていたそうです。
次に洗顔は、袋の中に糠を入れたものを使います。優しく撫でるように洗い、マッサージ効果も期待できたとか。今も昔も肌をいたわるのは変わりませんね。

さて次に鉄漿(かね)を付けていきます。いわゆる「お歯黒」のことですね。鉄屑を焼いて濃茶の中に入れ、これに五倍子(ふし)の粉を加えた液で歯を染めるのですが、この液はとても臭くて渋かったそうです。すぐにうがいして吐き出していました。

ちなみに御台所の入浴はこの時間帯となります。将軍が大奥へ渡って来る時には夕方になることもあったとか。もちろん御台所は座っているだけ。お付きの女中たちが糠袋で丹念に洗ったそうです。

さて気になる朝食ですが、煮物や豆腐、焼き魚などが多かったようです。またご飯は3杯までおかわりができますが、箸を一度や二度付けただけで、すぐにおかわりとなりました。また最後のおかわりは手付かずで下げることが多かったようです。果たして意味があるのやら?
食べづらい魚の骨などは、女中が丁寧に取り除いてくれますから、まさに至れり尽くせりですよね。

将軍や御台所の膳は、毒見のために同じものを10人前作りますが、これも何だかもったいないような気がします。しかしご心配なく。余った膳は身分の高い女中たちが残さず食べていたそうです。

トイレにまでお付きの女中が同行!?その驚くべき様子とは?

顔も体もさっぱりしたところで、次にお化粧です。白粉(おしろい)を顔に塗るのですが、こればかりは自分と他人の感覚は違うもの。御台所が自らメイクしていたそう。そしてお化粧が終わると着替えます。もうすぐ将軍が大奥へやって来ますから、相応の正装で迎えたそうです。ちなみに御台所は日に5度も着替えをしていたとか。将軍を迎える時だったり、あるいは食事のタイミングで着替えるのですが、同じ着物は二度と着なかったそうです。さすがはお金を湯水のように使う大奥だけのことはあります。

さて将軍が大奥へ入ると、御台所は出迎えて挨拶を交わし、午前10時頃になると、御年寄や御中臈ら御目見得以上の女中たちが一斉に並び、将軍と御台所に朝の挨拶を行います。これは「朝の総触(そうぶれ)」と呼ばれるルーティンで、朝礼のようなものでしょうか。

ちなみに御台所がトイレを使う時、お付きの女中も一緒に入ったそうです。用を足した後にお尻を拭いてもらったり、夏の暑い盛りには扇であおぐこともあったとか。やはり至れり尽くせりだったのですね。

毎日ではありませんが、午前の時間帯に奥医師による診察を受けることもありました。舌の様子を診たり、脈を測ったりするのですが、高貴な御方の肌に触れるわけにもいきません。懐から薄い布を取り出し、その上から測ったそうです。

また御台所が用を足す際、健康状態を測る大切な機会となりました。なぜなら便器の下には引き出しが付いていて、便がそこに落ちる仕組みになっています。奥医師が引き出しから便を取り出して、色や固さから健康の具合を見ていたわけですね。

御台所が楽しみにしていたおやつの時間

ここからは午後になります。お昼を食べたあと、御台所は比較的自由な時間を過ごしていました。例えば和歌を詠んだり、女中たちと香合わせや貝合わせで遊んだり、あるいは庭を散歩したりなど。
また昼間でも将軍が大奥へやって来ることはあります。そんな時は談笑したり、ともに本を読んだりなど夫婦の時間を楽しんでいたそうです。

しかし、なんといっても御台所にとって楽しみだったのは、「おやつの時間」でした。今も昔も女性は甘いものが大好きですよね。午後2時頃になると落雁や金平糖などのお菓子が運ばれてきたそうです。
ちなみに13代将軍・徳川家定の趣味はお菓子作りでした。自信作を作っては幕臣たちに振舞ったとも。もしかすると御台所の篤姫も、家定が作ったお菓子を食べたのかも知れません。

午後2時を当時では「八つ時」と呼んでいましたが、これがおやつの語源になったとされています。また江戸で評判のお菓子をわざわざ取り寄せることもあったとか。
現在でも羊羹で有名な「虎屋」ですが、14代将軍・徳川家茂の頃に将軍家御用となりました。御台所・和宮も虎屋の羊羹を大変気に入っていたらしく、何度も注文していたそうです。

かなり豪華だった!?御台所の夕食タイム

午後6時になると夕食が運ばれますが、実は将軍より御台所の膳の方が豪華だったといいます。食器については朝と昼は椀が用いられますが、夕食だけは瀬戸物の器で供されました。また将軍は冷たい食事しか食べられなかったのですが、なぜか御台所の食事は火鉢で温めてから出されたそうです。将軍より恵まれていたのですね。

記録によると膳の内容は、鯛やホウボウの焼き物に卵焼き、さらに煎り豆腐や蒲鉾、味噌汁などが付いていました。金平糖や菓子昆布といったデザートもあったといいますから、当時の日本でもっとも贅沢な食事をしていたのかも知れません。

豪華な御台所の膳ですが、実は厳禁だった食材がありました。それは「天ぷら」です。13代将軍・家定の頃、天ぷらを揚げている最中に出火し、本丸御殿まで焼けてしまいました。そして100人に及ぶ女中が焼け死んだといいます。そうしたことから、揚げ物は絶対に禁止!となったわけですね。
また徳川家康は天ぷらを食べて亡くなったとされていますから、徳川家にとっては不吉な食べ物だったのかも知れません。

将軍とめったに床をともにしなかった!?御台所の就寝タイム

午後9時になると就寝の時間がやって来ます。寝る前に「お寝御召し(おねおめし)」に着替えるわけですが、これが御台所にとって最後の御召し替えとなります。ちなみに御台所の着物は一度しか着ないとご紹介しましたが、着なくなった着物は女中たちに下げ渡されたそうです。

さて御台所が寝る場合、たいていは一人でした。将軍と夜を共にすることがなくはないのですが、ほとんど側室の元へ行ってしまって相手にされなかったようです。御台所の多くは皇族や公家の出身ですから、相性が合いづらい部分もあったのでしょう。また徳川の対面を保つ形式上の結婚ですから、将軍が心の底から御台所を愛していたかどうかは疑問符が付くところですね。

ここでちょっと将軍の夜の生活についてご紹介しましょう。もし大奥に泊まるのであれば、夕方には奥女中を通して伝えなくてはなりません。「今夜は○○と寝るから、準備をしておくように」こんな感じでしょうか。
そして将軍のお相手をする側室には、危ない物を持っていないかどうか厳重な身体検査がおこなわれました。

ちなみに寝所は将軍と側室の二人だけの空間ではありません。寝所は上段の間と下段の間に分かれていて、将軍たちは上段で寝るのですが、下段には常に御年寄という偉い女中が控えていました。
また上段の間で二人きり…というわけにもいきません。御添寝役(おそいねやく)という奥女中が二人も付いているのです。衝立を境に絶えず聞き耳を立てていて、側室が良からぬことを吹き込みはしないかと監視していたそうです。翌朝にはどんなことを話して、どんな行為をしていたか、すべて報告の義務があったとか。
これじゃ将軍も安心して行為に集中できませんよね。

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