合戦中のトイレは?戦国時代のトイレ事情


人間の生活に欠かせないものといえば、食事と睡眠がもっとも大事ですよね。もちろん食べるということは、出すものをちゃんと出さねばなりません。今でこそ水洗トイレという便利なものがありますが、戦国時代の排泄行為はいったいどのようにしていたのでしょう?今回は合戦中におけるトイレ事情についてご紹介してみたいと思います。少々汚い話となりますが、ご了承下さいませ。

戦国時代の人々は、どんなふうにトイレを使っていた?

平安時代から鎌倉時代にかけて、日本では恐ろしい疫病がたびたび起こっていました。特に人口が密集していた京都などの大都市で感染症が発生し、多くの人命が失われたといいます。その原因となったのが衛生環境の悪さでした。多くの人間が住む京都では排泄物の処理が追い付かず、人々の衛生観念も今とは比べ物になりません。
辻のあちこちには糞尿がまき散らされ、うず高く積もった場所もあったとか。人々は揶揄の意味も込めて「糞小路(くそのこうじ)」と呼んでいたそうです。

しかし日本人の衛生観念が劇的に変化したのが室町時代でした。ちょうど農業生産が飛躍した時期にあたり、人糞(じんぷん)が肥料として使用されるようになったのです。戦国時代になると都市や農村では板敷の床下に大きな甕を仕込んだ汲み取り式トイレが増え、手水(ちょうず)桶をトイレの側に設置するようになります。用を足した後に手を洗う。そんな当たり前の習慣が根付きました。

紙がたいへん貴重だったこの時代、汚れたお尻を紙で拭くなんて概念はまったくありません。それではどのようにお尻をキレイにしていたのでしょう?確かに手で水をすくって洗うこともありましたが、実はある道具が大活躍していました。それが「糞ベラ」というもの。「籌木(ちゅうぎ)」とも呼ばれますが、このヘラを使ってお尻から掻き出していたものと思われます。

しかし外出中に便意を催してしまうと困りますよね。そこで自分だけの糞ベラを持ち歩き、こっそり物陰に隠れながら排泄していたそうです。ちなみに糞ベラが汚れたり摩耗した時は、すぐに替えが用意できたといいますから、当時から生活用品として根付いていたのでしょう。

戦場での切実なトイレ事情とは?

さて、ここから本題へ入っていきます。戦国時代の戦場ではどのように用を足していたのでしょうか?まず戦場へ向かうため行軍している最中には、兵を休ませる小休止があります。思い思いに散ってそこで用を足すわけですが、いざ戦場へ到着して陣を張るとなると、なかなかそうはいきません。皆が勝手に野外で排泄すれば臭いもキツイですし、何より不衛生でした。

では近くの川ですれば良いのでは?と普通は考えますが、そうもいきません。なぜなら川の水は飲料水も兼ねていたからです。
そこで簡易的なトイレが作られました。といっても大きな穴を掘って2本の板を渡しただけの粗末なもの。兵は板の上でしゃがんで排泄したといいます。そして便がだんだん堆積してくると穴を埋め、すぐ近くに新たな穴を掘りました。そうすることで衛星環境を保っていたわけですね。

しかし関ヶ原の戦いなど、数万の軍勢が満ち溢れる戦場では凄まじい光景が広がっていたことでしょう。あちこちに専用の穴がボコボコ掘られ、その全てが公衆トイレなのです。さすがに臭いも隠すことはできず、兵たちは悪臭の中で戦っていたわけですね。
ちなみに大将クラスなら、「樋箱(ひばこ)」という専用のおまるを使用していたといいます。かつて平安貴族もこれを使っていたとされ、箱の中には砂や臭い消しの植物が仕込まれていたとか。便が溜まれば家臣が捨てに行ったそうです。

ところが排泄の際、兵が具足を脱ぐのは大変だったといいます。いちいち脱いでいては時間も掛かりますし、何より面倒くさい。そこで具足を着たまま用を足せる方法が考案されました。
まず下着にあたる褌は長さがあり、股下から胸まで伸ばして先端を首筋で結びます。そして排泄の時は結び目を外し、股間の布を緩めてから用を足しました。終わると元に戻せば良いだけですから、これなら大した時間はかかりません。

また袴にも工夫が凝らされていました。ちょうど股の部分に切れ込みが入れられ、しゃがむとパックリ割れる仕組みとなっています。どうせ具足を付ければ見えない部分ですから、まったく気になりません。夏の暑い時期になると、下半身に何も身に着けない猛者もいたそうです。敵にいつ命を狙われるかわからない戦場ですから、排泄に時間を掛けていられなかったのでしょう。

ちなみに大将ともなれば、戦いの時以外は籠手(こて)・臑当(すねあて)・佩盾(はいたて)だけを身に着けた小具足が一般的でした。これは体の負担を軽減するだけでなく、簡単に用を足すための装束だったのでしょう。

いざ戦場へ!排泄したくなったらどうする?

陣で待機している間は心配ないのですが、いざ戦いが始まった時に便意を催すと大変です。そこで兵たちは不測の事態に備えて準備を怠りませんでした。
もっとも心配なのは食中毒や下痢といった症状です。まず井戸の水は絶対に飲まないことが大前提でした。なぜなら井戸に糞尿など不衛生なものが投げ込まれている可能性があります。また川の水が濁っている場合は上澄みを煮沸してから飲んでいました。

出陣当日も気を使っていたようです。まず便意を催さないよう前日の食事は軽めに済ませ、水も必要最低限しか飲みません。よく映画やドラマなどで出陣前夜に酒宴で盛り上がるシーンがありますが、酒は利尿効果が高いこともあって、深酒すればするほど体の水分が奪われます。そのぶん水も多く飲んでしまうため、実際の戦場ではあり得ないのです。

こうして細心の注意を払いつつ戦場で戦うわけですが、もし合戦の真っ最中に便意を催してしまったら?これはもうどうしようもありません。我慢できなければそのまま垂れ流すしかなく、恥ずかしさに耐えながら戦ったのかも知れませんね。

「おぬし!股の間から何かが垂れてきておるぞ!」
「なあに、これは秘伝の味噌じゃ」
と言ったとか言わなかったとか。

籠城戦のトイレ事情とは?

現在でも姫路城や松本城などには往時のトイレが現存していますし、秀吉が本営を置いた肥前・名護屋城にもトイレ遺構が発見されています。城は人が籠もって戦う場所ですから、それなりにトイレが備わっていました。ところが戦国時代の城といえば、大きなものから小さなものまで規模はさまざま。特に砦クラスの小さな城ですと、トイレと呼べる施設はなかったものと考えられます。

ではどうやって排泄物を処理していたのでしょうか?実はある程度溜まると、城の外へ捨てていたようなのです。ちなみに北条氏が支配した浜居場(はまいば)城は相模と駿河の国境にあり、最前線の城として軍勢が詰めていました。そこで城にこんな命令が出されたそうです。

「糞尿は毎日欠かさず外へ出し、城内はいつも清潔にすること。矢を放って届く範囲の中に糞尿を置いてはいけない」

たくさんの人間が籠もる城では、たとえ穴を掘っても処理しても追いつきません。常に城内を清潔に保つことを指示し、衛生環境の保全に努めさせたのでしょう。また人糞の放置が原因で疫病が発生するため、無駄に兵を死なせたくない意図が読み取れます。
北条氏は小田原城や八王子城といった名城を築いた戦国大名ですから、城に関しては特に思い入れがあったのかも知れません。

籠城戦でのトイレ不足によって、悲惨な運命を迎えた城があります。それが能登にある七尾城でした。天正5年(1577年)、上杉謙信によって包囲された七尾城には、武士だけでなく民衆までが籠城する事態に陥ります。一説には数万が籠もったとされますから、これはとんでもない人数です。ところが城内にトイレは備わっているものの、人数に対してあまりにも少なすぎました。

上杉軍に囲まれていますから、城外へ排泄物を捨てるに捨てられません。しかも季節は夏場ということもあり、放置された大量の糞尿から病原菌が発生してしまいます。やがて蝿が媒介したことで感染症が発生し、城内にいた多くの者が命を失いました。そして幼い城主までが亡くなってしまうのです。

こうして戦意を失った七尾城の将兵は降伏するしか道がなくなりました。こうしてトイレ不足によって落城した唯一の城となったのです。

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